2007年05月04日

100人の村は楽園だった



連休中はゴルフの予定もなく、かといって家族で旅行の予定もない。近所をふらふらする程度なので、意外に読書が進む・・なにげにずいぶん昔の本を見つけて読み返した。薄い本なのですぐ読める。



100人の村は楽園だった



//////  ある日、大変なお金持ちが、貧しい経験を自分の息子に経験させようとしました。田舎の知人の家に息子を預けて、世の中の人々が実際にどれほど貧しいのかを見せようと思ったのです。田舎での滞在を終え、息子が家に帰ってくると、父親は尋ねました。



「どんなに貧しいか、わかっただろ?」



「そうだね。よくわかったよ」と息子は答えました。



「おまえはどんなことがわかったんだい?」



息子は答えました。



「僕たちの家には籠の中の小鳥が一羽しかいないけど、あの農家には犬と牛とたくさんの小鳥がいたよ」



「僕たちの家には、庭にプールがあるけど、あの人たちのところには、どこまでも続く川があるんだ」



「僕たちの庭には夜、まぶしい電灯があるけど、あの人たちのところには夜、満天の星空があるんだね」



「僕たちは、小さな地面に住んでいるけど、あの人たちの住んでいるところは、見えないぐらい遠くまで広がっているんだね」



「僕たちには、僕たちに奉仕する召使いがいるけど、あの人たちは、他の人たちのために奉仕しているんだね」



「僕たちは自分たちの食べ物を買うけど、あの人たちは自分たちの食べ物を育てているんだね」



「僕たちの家の周りには、僕たちを守るための壁があるけど、あの人たちには守ってくれる友達がいるんだね」



息子の返事に、父親は言葉を失いました。そして、息子はこう言いました。



「お父さん、僕たちがどんなに貧しいかを見せてくれてありがとう」



物質的な価値観にとらわれた父親が気付いたことは、まったく新しいことではありません。「ただ忘れていた」ことだったのです。探し続けていたメガネは、実は掛けています。それは記憶喪失に陥った人が、ある時ハタッとすべてを思い出すのに似ています。記憶喪失になった本人にとっては、忘れている事にさえ気付かないかもしれませんし、もし気付いても、解決がとても難しいものと感じたことでしょう。しかし、答えは自分のなかから、ある日、突然やってくるものです。真実は、果てしない記憶の中に存在しており、私たちが気付くときをいつもまっています。 ////



もう一冊



これは大型本です。ネイティブ・アメリカンのライフスタイルに学ぶべき何かがあるかもしれません。かなり奥深いです。「ネイティブ・アメリカン―叡智の守りびと

posted by kuu at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 0300) 人生・問いかけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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